親がつらい ~鬼になる親~

毒親、過干渉などのキーワードで語られる、親が重くてたまらないと感じる息子の体験記です。

微妙にわかってもらえない「マイルド毒親」

今日は「マイルド毒親」の話をします。

毒親と聴いて皆さんが思い浮かべるのはどんな親でしょうか。

虐待、暴力、ネグレクト……などなど、極端にマイナスの感情やネガティブさ、あるいは直接的な暴力を中心とした「明らかに親としてダメなこと」をやっているケースではないでしょうか。

毒になる親

毒になる親

 

 しかし、書籍「毒になる親」では、例えば「コントロールしたがる親」というのも、行けないことであるというふうに述べられています。

コントロールしたがる親

コントロールがつねにいけないこと、というわけではありません。例えば、よちよち歩きの幼児が車道に出ていこうとするのを叱って引き止めている母親は、「コントロールしたがる親」ではなく、「分別のある親」といえます。これは、幼児にとって必要な保護だからです。

しかし、その後10年たって、子供が一人で道を渡ることができるようになっても、まだ子供の手を母親がひこうとしていたら、これは子供の健全な精神の成長を助けている行為とはとてもいいがたいものです。こうして親からコントロールされている子供は、新しいことを経験して学んでいくように勇気づけられていく事が無いため、自信が育ちにくいのです。

このような「コントロールしたがる親」は、自分が不安でしょうがない。子供の人生を支配し続けることで、自分の子供をずっとそばにおいておきたいという風に、ほとんど自動的に考えてしまうものなのです。

毒親とそうでない親の境界線

さて、「マイルド毒親」の話に戻ります。先ほどの、子供が大きくなってもまだ手を引いている母親の例であれば、わかりやすい問題として捉えることができました。では、これはどこまでの範囲が親の問題で、どこまでが自分の問題なのでしょうか。これはとても難しい問題です。

このようなコントロールしたがる親は3種類に分かれます。

1.日常の細かいことをコントロールしたがり、積極的に介入してくる親。

2.人生の重要な局面(就職、結婚など)では急に介入してくる親。

3.上記の両方。

このうち、とてもわかりにくいのが2つめの、「人生の重要な局面では介入してくる親」ではないでしょうか。このような親の場合、干渉してくる頻度が少なく、普段はとてもいい親(の仮面をかぶっている)である場合が多いからです。

しかし、日常の細かいことには無関心なのに、ひとたび重要なこととなると、異常なほどの執着をみせます。「あなたのためだ」「育ててあげたのだから」などの言葉を旗印に、泣いたりわめいたりするのは当たり前、酷いケースでは自傷や自殺をほのめかす、などのやり方で、子供を自分の意向に添わせようとします。

私のケース

私のケースは、まさに2つめの「人生の重要な局面では介入してくる親」でした。普段は私ももう社会人で別居しており、経済的にも自立しているので、日常がコントロールされることはなくなりました。

同居していた時は、全てにおいてネガティブで、私が何かしようとするにつけて、「どうせ成功しない」とか、知り合いの失敗した経験談などを話してくるなど、ということを、「あなたのためを思ってチャレンジさせない」という方針のもとで、いつも吹き込まれていました。そのくせ、成功すると手のひらを返したように「努力して当然」「育ててあげたのだから当然」などのように、褒めることもない反応を示していました。

前にも述べましたが、私が就職の時にも、第一志望に内定したのにもかかわらず、その第一志望が親の気にいるところではなく、もっと公務員のような安定を望んでいたために、猛反対し始めました。そして、何時間も何時間もずっと説得しても、全く意見に耳を傾けようとせず、「その会社に行かないで下さい」と土下座をしたり、「その会社にいくなら私は死ぬ!」などと言ってみたり、泣きわめいてみたり、「育ててあげたのに悲しい」と言ってみたり、とにかく駄々っ子のように自分の意見を主張するばかりでした。

このような親に対してどのようにすればいいのか、私自身まだ答えは見つかっていません。ただ、まずは「誰かに分かってもらいたい」「みんなにわかってもらいたい」という心の叫びがあります。表面的には、なんとなく「子供の就職を心配している良い親」に見えなくもないので、うまく共感してもらうことがとても難しいのです。

毒親持ち同士は、共感して分かってもらう、とか、お互いに支えあって立ち向かう、ということができるように、していくのが第一歩なのかもしれません。

心の中にある「やる気の器」を考える

この記事を見ました。

lifehacking.jp

この記事で言及しているMPとは、注意力とか関心とか、いわゆる「やる気」みたいなものだと思います。

それでは、こうしたMP切れはなぜ起こるのでしょうか?

私が思うに、人には心のなかに「MPの器」があります。やる気の器と置き換えて言ってもいいでしょう。このMPの器には、やる気というMPの液体がなみなみといっぱいまで入ります。
ところが、悩みを抱えていたり、気になることがあると、やる気の液体の代わりに、「悩みの液体」のようなものがはいってしまいます。この悩みの液体は、入っていれば入っているだけ、MPの器の最大量を減らしてしまいます。

その結果なにが起こるか。すなわち、悩みを抱えている人ほど、やる気の液体の量が少なくなってしまうのです。その結果、何かに悩んでいる人は集中できなくなってしまうのです。

さて、ここで、その悩みが一時的なものならまだ良いのですが、これがかなり根深いものだったらどうでしょう。それが、生育環境です。過干渉な親、逆に無関心な親に育てられている場合などでは、大人になってからも親が原因で悩む事が沢山あります。こうした悩みは、いわば悩みの液体が凍結してしまっている状態で、つねにやる気の器の最大量を減らしてしまうことになりかねません。

なので、こうした凍りついてしまった悩みの液体をしっかりと溶かしてあげて、なんとかして外に排出してあげるような努力を必要としています。

よけいなエネルギーを、親のために割かなければならない人生から、脱却したいと心から思います。

 

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

 

 

自分の親が「毒親なんじゃないか?」と気づくとき② ~母親編~

前回、父親の暴言、ギャンブル癖などについて話しました。

onioya.hatenablog.com

今回は母親についてです。

母親の人生の最大の目的は「息子を育てること」

前回書いたように、暴言・皿を割るなどの暴力などで父親がめちゃくちゃだったので、母親は息子である私を守ることに必死でした。教育ママになり、学校への送り迎えから、塾でのプリントの整理など、あらゆることをやってくれました。

私立の中高だったので、かなり学費も出してもらっていました。お恥ずかしながら、中学・高校を通じて、朝は母親に車で一番近い駅まで送ってもらっていました。そこからも、1時間半ほど電車の時間がかかり、学校に通っていました。朝だけは時間がなく、自分としても6時ぐらいに起きていたのですが、それでも身体が弱い時が多く、車で送ってもらっていました。ただ、母親の協力もあって、中高は6年間一日も休まずに学校に通えたので、十分期待には応えたと思っています。

こうしたエピソードからも分かるように、母親は「息子である私を育てる」という名目のことなら努力を惜しまずやってくれました。そのおかげで、私は中学・高校と、不良になることもなく、毎日それなりに楽しくやれたと思っています。そして、私は国立の大学に進学することができました。

母親は父親に始終怯えていた

ところで、それでも母親が、私のことを父親から守りきれていたか、堂々とした態度でいつも過ごせるようにしていたか、というと、どうしても力不足のことはありました。

例えば、私は小学校高学年ぐらいから目が悪くなり始め、メガネをかけるようになったのですが、私がメガネをかけるようになったことを、母親は父親に隠していました。ですから、家にいても、父親が帰宅すると私と母は慌ててメガネを隠し、何くわぬ顔で出迎えたものでした。

どうしてメガネを隠したかといえば、母親は、「お前の育て方が悪くてゲームばかりさせるから目が悪くなった」と怒鳴られることが耐えられなかったのだと思います。それは、自分が怒鳴られることもそうですし、実際にゲームをやらせてしまった、という罪悪感、反論の出来なさという側面もあったのかもしれません。

いずれにしても、母親が、私が目を悪くしたことをかばえない、というしわ寄せは、私がメガネを隠してこそこそ着けるということに集約されたのです。

このように、母親は始終父親に怯えていました。それは私にとってすごく辛いことで、なんとか母親を守ってやれないか、と思って過ごしていました。

母親がおかしくなったのは、就職から

私は、自分の家庭がおかしくなっていたので、ゲームにそのはけ口を求めました。友人とゲームばかりして遊んでいました。それで、就職はとあるゲーム会社にしようと思い、実際にそこに内定を頂くことがほぼ決まりかけてきたな、という時に事件は起こりました。

それまで静観を決め込んでいた母親が、ノイローゼのように、毎日のようにそのゲーム会社に対する批判が書いてあるサイトを見つけてきては、一日数通のメールをしてくるようになったのです。その「攻撃」は、やめてほしいと言っても延々と続きました。

そして、就職に関する話し合いが持たれます。母親の意見は頑として変わらず、「そのゲーム会社への就職をやめろ、ゲームは嫌いだ」というものでした。私はほとんど引かず、毎日のように説明を繰り返しました。それこそ、毎日数時間かけて説得しました。ところが、母親はどんどんノイローゼのような傾向をエスカレートさせていきました。最後の方になると、ベランダから身を乗り出して、その会社に行くなら私は死ぬ、と言ったり、泣きながら土下座をしてきたりしました。

自分が大切に思っている親に死ぬと言われて、それでも第一志望の会社に行く勇気は私にはありませんでした。実はその時、その会社以外にも内定を取っており、そちらのほうが世間的には「安定している」という会社でもあったので、結局のところ母親のほぼ希望通り、泣く泣く自分の第一志望を諦め、安定した会社への就職を決めたのでした。この頃から、母親との価値観の違いが目立ってくることになります。

母親の毒は祖母から来ていることにはじめて気づいた

ところで、私が曲がりなりにも社会的にちゃんと育ったのは、父親と母親が私に教育費をしっかりと掛けてくれたことにあります。これは、紛れも無く事実だと思っています。しかし、教育費をしっかりとかけられていても自己肯定感が低い子供のケースでは、やはり上手くいかないケースがあります。では、私の場合なぜ上手く行ったかというと、これは、母方の祖母の存在が大きかったのです。その話はまた今度、したいと思いますが、母方の祖母は常に肯定してくれる人でした。

 

ここまで話しましたが、母親が毒になる時というのは、人生の重要な局面だけなので、大学までは私と母親の「ゴール」が、「なるべくいい大学に行く」ということで一致していたので、齟齬が生まれなかったのです。

ところが価値観によってさまざまに違う「いい会社」を選ぶ、という場面で、私は私なりに幸せになれる選択をしようとしたのですが、それは母親の価値観とは合わず、そこで初めてにちかい衝突が起こるようになります。

次回はこのあたりをもう少し掘り下げて体験記を書こうと思います。

ここまで読んでくださってありがとうございます。何かコメントなどありましたら、コメントかはてなブックマークでよろしくお願いいたします。

自分の親が「毒親なんじゃないか?」と気づくとき① ~父親編~

今回は、私の体験を共有したいと思います。

私の父について

私の父は、紛れも無く「毒親」だったと思います。私の父は、大手の企業で働くサラリーマンで、いわゆる「有名大学」出身です。留学をしていた経験もあります。一見、理想的なプロフィールを持っています。そう、条件面では。

一方で、家庭ではどうだったかというと、私が小さい頃から非常に暴力的な父親でした。しかし、これが微妙なところなのですが、暴力と言っても、直接手をあげる暴力というのは、私が小さいころからありませんでした。

彼の暴力とは、「隣近所まで聞こえるぐらいの声で怒鳴る(叫ぶ)」「『養ってやらないぞ!』『嫌ならこの家から出て行け!』というように、金銭面での脅しをかけてくる」「ガラスのコップを壁に叩きつけて割ったり、ものに対して暴れる」といった暴力です。後からわかったことなのですが、父親はバツイチで、前の奥さんに直接手を上げたことが離婚の事由になったようで、そういったことがあったので、直接の暴力はやめたようです。

こうした暴力は、家庭では日常茶飯事で、彼が何に怒っているのか、さっぱり分かりませんでした。とにかく、母親や息子の私から見ると、なぜか機嫌が悪くなると、怒鳴る。ものに当たる。食器が割れる。その繰り返しでした。

例えばある日は、食事中に、母親が作った味噌汁が熱すぎると言って、怒鳴り散らし、味噌汁の入っているお椀が壁にたたきつけられました。その時一緒に、醤油差しも壁に叩きつけ、ガラスが割れました。ひとしきり怒ると父親は自分の部屋にタバコを吸いに行きました。後には泣きながら壁についた醤油を拭く母親と、それを見て途方に暮れる私とが残りました。

母から聴いた話と、私の記憶が入り混じった話なのですが、私が3歳ぐらいの時の話。私は何かに熱中していて、父親の呼びかけに答えなかったそうです。父親はそれに腹を立て、私を殴りつけようとしたようです。それで、母親がやめて!と止め、いつもの様に父親は激昂し、近くにあった果物を入れておくガラス製の皿を床に叩きつけ、他の食器も次々と投げてめちゃくちゃにしました。私が目にしたのは、辺り一面ガラスの破片で一杯に成った床。そして泣いている母親でした。母親によると、私は父親にこういったそうです。「おとなのくせに、どうしてこんなことするの!」と。

いつも、いつもそうでした。これが一貫しているところで、父がこれについて、謝ったり反省したりしていることは、ありませんでした。

また、父親はパチンコ、麻雀など賭け事が好きで、いつも会社の仲間や一人で、遊びに興じていたようです。仕事が忙しかったのか、それとも遊んできたのかわかりませんが、少なくとも小さな頃に、私が寝る前に帰ってくるということは、殆どありませんでした。

そのせいか、これは今でも不思議なのですが、一流企業のサラリーマンのはずなのに、家は子供部屋もないマンションで、その上、いつも借金の話ばかりしていました。お金のことで母親と父親が言い争いをしているのをいつも聞いていました。

父親は、給料をいくら貰ってるかだとか、そういう情報を一切母親に言いませんでした。母親は、一定額ギリギリの「お給料(とうちでは呼んでいました)」を父親からもらい、主婦をしていました。もともと母親は、学校の先生をしていたのですが、結婚を機にやめてしまいました。父親は、母親が働くことはおろか、外出したりすることすら、許しませんでした。

ある時、母親が「私はあなたの女中じゃない!」と泣きながら、勇気を振り絞って反論したことがありました。父親は、女中以下だよお前は!思い上がるな馬鹿者!」と怒鳴り、母親は号泣する。この程度の暴言は日常茶飯事でした。

(※事実としてこういったやりとりがあったのですが、メイド業、家事代行業を誇りを持ってされている方に、きつい表現になってしまうことをお詫びします。いずれブログの記事が進んでくればわかるかと思うのですが、父も、母も、少し考え方が古いというか、おかしいのです。それも分かっていただきたくて、ありのままを書きました。申し訳ありません。)

成長しても続く突然の不機嫌と暴力

こうした傾向は、私が成長してからも変わることはありませんでした。むしろ私が成長し、「おかしい」といえるようになると、さらに父親の暴力的傾向はエスカレートしていきました。

私は、ほとんど母親に育てられましたが、唯一幸福だったかもしれないことは、しっかりと教育を受けられたことです。父親は、私に対する金はちゃんと出していました。母親も、いわゆる「教育ママ」で、学校や塾への送り迎えなども含め、過保護なくらいに色々なサポートをしてくれたと思っています。私立中学から高校に進み、塾も行かせてもらえました。そういった意味では、欲しいものが買ってもらえたりということはなかったですが、教育という面からは、しっかりとお金をかけてもらえたと思っています。

金を出してやっているのだから文句をいう筋合いはない

しかし、父親は「俺が金をだしてやっているのだから、文句なんていう権利ないんだ!」という言葉をすぐに口にしました。「嫌なら出て行け!」と怒鳴られたことも、数限りなくありました。私が中学生や高校生の時でしたから、もちろん、ほとんど出て行って生活するなんて無理、ということは分かって言っていたはずです。

こうしたことは、当時でもとてもつらく、「大学生になって自分で稼げるようになったら、必ず家を出て行って、一人で生活しよう」と、心から思っていました。

毒になる親

毒になる親

 

 

今回も読んでいただきありがとうございます。

何かコメントなどありましたら、はてなブックマークまたはコメント欄からお願い致します。

ブログの紹介 親が重くてたまらない人へ

はじめまして。大矢くにゆきと申します。

このブログでは、いわゆる「毒親」に関する問題について、私自身の経験も踏まえて考えていきたいと思っています。

「毒親」って何なの?

「毒親」という言葉、皆さんも耳にした事があるでしょうか。

どんな親が毒親なのか、というのは人によって様々あるでしょうが、一つの定義としてよく挙げられるのが、

「子供の人生に悪影響を及ぼす親は全て毒親である」

というのが、一番広い毒親の定義ではないでしょうか。虐待、ネグレクト、性的いやがらせ等が極端な例として挙げられることも多いですよね。そう言った親を持っている方も、勿論大変です。しかし、「社会的に見てとても分かりづらいぐらいの困った親」を持っている子供も、また、とても苦しんでいます

毒親の定義について、詳しく知りたいという方は、例えばこちらを見てみて下さい。

母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き

母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き

 

 

「鬼親」って何?

「鬼親」というのは、聞きなれないかも知れません。これは、私の作った言葉です。実は、私の親はこの「鬼親」だと思っています。「毒親」と言ってもいいのですが、「毒かどうかが一見判断がつかない」という感じがあるのです。

親というのは、時に「子供を守るため」に、鬼になってしまうことがあります

その時の言葉は「あなたのためを思って……」「あなたが可愛くて育ててきたのよ」とか、一見「そりゃ、そうなんじゃないか?」という言葉が並びます。一定のロジックもあって、一見とても正論です。

「鬼親」の何が問題なのか

しかし問題は、子供をお人形のようにコントロールすることにあります。

私の親は、私が親から見て「いい子」であるときは、何もいいません。むしろニコニコと、褒めまくります。しかし、私が自分で良かれと思って決めた行動でも、親から見てその行動に問題があった場合、豹変してしまうのです。就職、転職、引っ越し、そしていまは結婚など、あらゆることに口を出してくるのです。

そして、「あなたのためを思っている」ということを錦の御旗のように掲げて、あらゆる手段を使って、子供が自分の思う通りになるようにします。「あなたにいくらお金をかけて来たと思っているんだ!お金を返して!」「私を見捨てるのね?薄情者」「私はいろいろなことを我慢してあなたを育ててきた、その結果がこの仕打ちか!」……というように、「子供が成人して自分で判断できる年齢になっても、子供の判断を尊重できず、コントロールをし続けてしまう」というのが鬼親の最大の特徴です。

先ほど、「子供を守るために鬼になる」と言いました。これは、親から見た時の論理です。子供から見れば、親が鬼になり、自分で判断したことを尊重してくれない、ということは、非常に大きなトラウマであり、人生の悩みであり続けてしまうのです。

こうした「鬼親」にかけなければならないエネルギーは膨大で、説得のようなものは大概は失敗します。ですが、子供側からすれば、親の過干渉は、生きていても常に重く、重くのしかかって、心の負担になります。そして、余計なところにエネルギーが割かれてしまいます。非常に大きな問題になるのです。

このブログの目的

私は、自分の親が「鬼親」「毒親」であることを認識していますが、なんとか自分の人生をもっと良くしていきたいと思っています。

そして、こういう風に感じている人は、他にもいるんじゃないか、と思い、このブログを立ち上げました。

どうか、同じように感じている方がいらっしゃったら、遠慮なくいろいろな意見を聞かせて下さい。そして、どうやったらこういった「毒親」「鬼親」がいる子供が、うまく自分の人生を生きていけるようになるのか、一緒に考えていけたら、こんなに嬉しいことはありません。

あなたも、私も、きっとひとりじゃない。