親がつらい ~鬼になる親~

毒親、過干渉などのキーワードで語られる、親が重くてたまらないと感じる息子の体験記です。

自分の親が「毒親なんじゃないか?」と気づくとき① ~父親編~

今回は、私の体験を共有したいと思います。

私の父について

私の父は、紛れも無く「毒親」だったと思います。私の父は、大手の企業で働くサラリーマンで、いわゆる「有名大学」出身です。留学をしていた経験もあります。一見、理想的なプロフィールを持っています。そう、条件面では。

一方で、家庭ではどうだったかというと、私が小さい頃から非常に暴力的な父親でした。しかし、これが微妙なところなのですが、暴力と言っても、直接手をあげる暴力というのは、私が小さいころからありませんでした。

彼の暴力とは、「隣近所まで聞こえるぐらいの声で怒鳴る(叫ぶ)」「『養ってやらないぞ!』『嫌ならこの家から出て行け!』というように、金銭面での脅しをかけてくる」「ガラスのコップを壁に叩きつけて割ったり、ものに対して暴れる」といった暴力です。後からわかったことなのですが、父親はバツイチで、前の奥さんに直接手を上げたことが離婚の事由になったようで、そういったことがあったので、直接の暴力はやめたようです。

こうした暴力は、家庭では日常茶飯事で、彼が何に怒っているのか、さっぱり分かりませんでした。とにかく、母親や息子の私から見ると、なぜか機嫌が悪くなると、怒鳴る。ものに当たる。食器が割れる。その繰り返しでした。

例えばある日は、食事中に、母親が作った味噌汁が熱すぎると言って、怒鳴り散らし、味噌汁の入っているお椀が壁にたたきつけられました。その時一緒に、醤油差しも壁に叩きつけ、ガラスが割れました。ひとしきり怒ると父親は自分の部屋にタバコを吸いに行きました。後には泣きながら壁についた醤油を拭く母親と、それを見て途方に暮れる私とが残りました。

母から聴いた話と、私の記憶が入り混じった話なのですが、私が3歳ぐらいの時の話。私は何かに熱中していて、父親の呼びかけに答えなかったそうです。父親はそれに腹を立て、私を殴りつけようとしたようです。それで、母親がやめて!と止め、いつもの様に父親は激昂し、近くにあった果物を入れておくガラス製の皿を床に叩きつけ、他の食器も次々と投げてめちゃくちゃにしました。私が目にしたのは、辺り一面ガラスの破片で一杯に成った床。そして泣いている母親でした。母親によると、私は父親にこういったそうです。「おとなのくせに、どうしてこんなことするの!」と。

いつも、いつもそうでした。これが一貫しているところで、父がこれについて、謝ったり反省したりしていることは、ありませんでした。

また、父親はパチンコ、麻雀など賭け事が好きで、いつも会社の仲間や一人で、遊びに興じていたようです。仕事が忙しかったのか、それとも遊んできたのかわかりませんが、少なくとも小さな頃に、私が寝る前に帰ってくるということは、殆どありませんでした。

そのせいか、これは今でも不思議なのですが、一流企業のサラリーマンのはずなのに、家は子供部屋もないマンションで、その上、いつも借金の話ばかりしていました。お金のことで母親と父親が言い争いをしているのをいつも聞いていました。

父親は、給料をいくら貰ってるかだとか、そういう情報を一切母親に言いませんでした。母親は、一定額ギリギリの「お給料(とうちでは呼んでいました)」を父親からもらい、主婦をしていました。もともと母親は、学校の先生をしていたのですが、結婚を機にやめてしまいました。父親は、母親が働くことはおろか、外出したりすることすら、許しませんでした。

ある時、母親が「私はあなたの女中じゃない!」と泣きながら、勇気を振り絞って反論したことがありました。父親は、女中以下だよお前は!思い上がるな馬鹿者!」と怒鳴り、母親は号泣する。この程度の暴言は日常茶飯事でした。

(※事実としてこういったやりとりがあったのですが、メイド業、家事代行業を誇りを持ってされている方に、きつい表現になってしまうことをお詫びします。いずれブログの記事が進んでくればわかるかと思うのですが、父も、母も、少し考え方が古いというか、おかしいのです。それも分かっていただきたくて、ありのままを書きました。申し訳ありません。)

成長しても続く突然の不機嫌と暴力

こうした傾向は、私が成長してからも変わることはありませんでした。むしろ私が成長し、「おかしい」といえるようになると、さらに父親の暴力的傾向はエスカレートしていきました。

私は、ほとんど母親に育てられましたが、唯一幸福だったかもしれないことは、しっかりと教育を受けられたことです。父親は、私に対する金はちゃんと出していました。母親も、いわゆる「教育ママ」で、学校や塾への送り迎えなども含め、過保護なくらいに色々なサポートをしてくれたと思っています。私立中学から高校に進み、塾も行かせてもらえました。そういった意味では、欲しいものが買ってもらえたりということはなかったですが、教育という面からは、しっかりとお金をかけてもらえたと思っています。

金を出してやっているのだから文句をいう筋合いはない

しかし、父親は「俺が金をだしてやっているのだから、文句なんていう権利ないんだ!」という言葉をすぐに口にしました。「嫌なら出て行け!」と怒鳴られたことも、数限りなくありました。私が中学生や高校生の時でしたから、もちろん、ほとんど出て行って生活するなんて無理、ということは分かって言っていたはずです。

こうしたことは、当時でもとてもつらく、「大学生になって自分で稼げるようになったら、必ず家を出て行って、一人で生活しよう」と、心から思っていました。

毒になる親

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今回も読んでいただきありがとうございます。

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