自分の親が「毒親なんじゃないか?」と気づくとき② ~母親編~
前回、父親の暴言、ギャンブル癖などについて話しました。
今回は母親についてです。
母親の人生の最大の目的は「息子を育てること」
前回書いたように、暴言・皿を割るなどの暴力などで父親がめちゃくちゃだったので、母親は息子である私を守ることに必死でした。教育ママになり、学校への送り迎えから、塾でのプリントの整理など、あらゆることをやってくれました。
私立の中高だったので、かなり学費も出してもらっていました。お恥ずかしながら、中学・高校を通じて、朝は母親に車で一番近い駅まで送ってもらっていました。そこからも、1時間半ほど電車の時間がかかり、学校に通っていました。朝だけは時間がなく、自分としても6時ぐらいに起きていたのですが、それでも身体が弱い時が多く、車で送ってもらっていました。ただ、母親の協力もあって、中高は6年間一日も休まずに学校に通えたので、十分期待には応えたと思っています。
こうしたエピソードからも分かるように、母親は「息子である私を育てる」という名目のことなら努力を惜しまずやってくれました。そのおかげで、私は中学・高校と、不良になることもなく、毎日それなりに楽しくやれたと思っています。そして、私は国立の大学に進学することができました。
母親は父親に始終怯えていた
ところで、それでも母親が、私のことを父親から守りきれていたか、堂々とした態度でいつも過ごせるようにしていたか、というと、どうしても力不足のことはありました。
例えば、私は小学校高学年ぐらいから目が悪くなり始め、メガネをかけるようになったのですが、私がメガネをかけるようになったことを、母親は父親に隠していました。ですから、家にいても、父親が帰宅すると私と母は慌ててメガネを隠し、何くわぬ顔で出迎えたものでした。
どうしてメガネを隠したかといえば、母親は、「お前の育て方が悪くてゲームばかりさせるから目が悪くなった」と怒鳴られることが耐えられなかったのだと思います。それは、自分が怒鳴られることもそうですし、実際にゲームをやらせてしまった、という罪悪感、反論の出来なさという側面もあったのかもしれません。
いずれにしても、母親が、私が目を悪くしたことをかばえない、というしわ寄せは、私がメガネを隠してこそこそ着けるということに集約されたのです。
このように、母親は始終父親に怯えていました。それは私にとってすごく辛いことで、なんとか母親を守ってやれないか、と思って過ごしていました。
母親がおかしくなったのは、就職から
私は、自分の家庭がおかしくなっていたので、ゲームにそのはけ口を求めました。友人とゲームばかりして遊んでいました。それで、就職はとあるゲーム会社にしようと思い、実際にそこに内定を頂くことがほぼ決まりかけてきたな、という時に事件は起こりました。
それまで静観を決め込んでいた母親が、ノイローゼのように、毎日のようにそのゲーム会社に対する批判が書いてあるサイトを見つけてきては、一日数通のメールをしてくるようになったのです。その「攻撃」は、やめてほしいと言っても延々と続きました。
そして、就職に関する話し合いが持たれます。母親の意見は頑として変わらず、「そのゲーム会社への就職をやめろ、ゲームは嫌いだ」というものでした。私はほとんど引かず、毎日のように説明を繰り返しました。それこそ、毎日数時間かけて説得しました。ところが、母親はどんどんノイローゼのような傾向をエスカレートさせていきました。最後の方になると、ベランダから身を乗り出して、その会社に行くなら私は死ぬ、と言ったり、泣きながら土下座をしてきたりしました。
自分が大切に思っている親に死ぬと言われて、それでも第一志望の会社に行く勇気は私にはありませんでした。実はその時、その会社以外にも内定を取っており、そちらのほうが世間的には「安定している」という会社でもあったので、結局のところ母親のほぼ希望通り、泣く泣く自分の第一志望を諦め、安定した会社への就職を決めたのでした。この頃から、母親との価値観の違いが目立ってくることになります。
母親の毒は祖母から来ていることにはじめて気づいた
ところで、私が曲がりなりにも社会的にちゃんと育ったのは、父親と母親が私に教育費をしっかりと掛けてくれたことにあります。これは、紛れも無く事実だと思っています。しかし、教育費をしっかりとかけられていても自己肯定感が低い子供のケースでは、やはり上手くいかないケースがあります。では、私の場合なぜ上手く行ったかというと、これは、母方の祖母の存在が大きかったのです。その話はまた今度、したいと思いますが、母方の祖母は常に肯定してくれる人でした。
ここまで話しましたが、母親が毒になる時というのは、人生の重要な局面だけなので、大学までは私と母親の「ゴール」が、「なるべくいい大学に行く」ということで一致していたので、齟齬が生まれなかったのです。
ところが価値観によってさまざまに違う「いい会社」を選ぶ、という場面で、私は私なりに幸せになれる選択をしようとしたのですが、それは母親の価値観とは合わず、そこで初めてにちかい衝突が起こるようになります。
次回はこのあたりをもう少し掘り下げて体験記を書こうと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございます。何かコメントなどありましたら、コメントかはてなブックマークでよろしくお願いいたします。