心の中にある「やる気の器」を考える
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この記事で言及しているMPとは、注意力とか関心とか、いわゆる「やる気」みたいなものだと思います。
それでは、こうしたMP切れはなぜ起こるのでしょうか?
私が思うに、人には心のなかに「MPの器」があります。やる気の器と置き換えて言ってもいいでしょう。このMPの器には、やる気というMPの液体がなみなみといっぱいまで入ります。
ところが、悩みを抱えていたり、気になることがあると、やる気の液体の代わりに、「悩みの液体」のようなものがはいってしまいます。この悩みの液体は、入っていれば入っているだけ、MPの器の最大量を減らしてしまいます。
その結果なにが起こるか。すなわち、悩みを抱えている人ほど、やる気の液体の量が少なくなってしまうのです。その結果、何かに悩んでいる人は集中できなくなってしまうのです。
さて、ここで、その悩みが一時的なものならまだ良いのですが、これがかなり根深いものだったらどうでしょう。それが、生育環境です。過干渉な親、逆に無関心な親に育てられている場合などでは、大人になってからも親が原因で悩む事が沢山あります。こうした悩みは、いわば悩みの液体が凍結してしまっている状態で、つねにやる気の器の最大量を減らしてしまうことになりかねません。
なので、こうした凍りついてしまった悩みの液体をしっかりと溶かしてあげて、なんとかして外に排出してあげるような努力を必要としています。
よけいなエネルギーを、親のために割かなければならない人生から、脱却したいと心から思います。